退団

久しぶりにこのブログを開いて、ふと過去記事が目に留まり、あぁ始まりは2016年だったのかぁ、もう1年経ってたのかぁ、年を取ると時間の流れが早く感じられるなぁなんて思っていました。
去る7月23日、宝塚歌劇団 雪組早霧せいなさんが宝塚歌劇団を退団されました。
東京宝塚劇場での千秋楽公演は全国でライブビューイングされましたが、ライビュでこんな倍率になるの!?というような盛況ぶりで、私はご縁がありませんでした。
でもいいの。ムラの千秋楽見れたから。

退団から数日、胸にぽっかり穴があいたような気持ちで過ごし、今まで味わったことのない感情に戸惑いました。
今までそれなりにオタクをやってきて、好きなバンドは解散したし、好きな俳優は芸能界引退したし、まぁ退団に近いようなイベントを乗り越えてきたけど、そういうものとはちょっと違った感覚がありました。
ワンワン泣いてない、でもすごい虚無感、そういう気持ちを自分なりに考えたときに、大げさかもしれないけど「男役早霧せいなの死を迎えた」が一番近い表現であるという結論に至りました。
そう。私は未来を失ったのです。

実際には、ちぎさまは生きているし(当たり前)、もしかするとまた舞台にあがっているところを見ることができる可能性も十分あるので、生きてるのか死んでるのかも分からない失踪した某ベーシストとかに比べると「また会える」確率はとても高いんです。
でもまた会える可能性があるのは、男役の早霧せいなではないんですよね。
きっと女性の役をするちぎさまなんでしょう。
それは私が宝塚を好きになったときから分かっていたことで、男役は永遠ではないと知っていたから即決で沼にはまっていったし、脳直でチケット買ったんです。
最初から、覚悟の上だったはず。
それでもやっぱり、もう会えないんだと思うとこんなに悲しい気持ちになるんだっていうことが自分でも意外でした。

もっと沢山見たい役がありました。
もっと沢山見たい演目がありました。
もっと沢山トリデンテを見ていたかったです。
でも、もう十分楽しんだという思いもあるし、ゆっくり休んでほしい気持ちもあるんです。

本当に本当に辛いときにケイレブ公演がありました。
ちぎさまのサンタさんを見ていたら、涙があふれてきて、久しぶりに心の底から笑えたこと、私は一生忘れません。
男役、早霧せいなさんのことを好きになれた時間のすべてが輝いているし、私の宝物です。
本当に本当に幸せでした。

今の私には男役でなくなったときに、どれだけちぎさまのことを好きで居られるのかが分かりません。
私はちぎさまのお人柄も好きだけど、ちぎさまの演じる男役が大好きで、本当に大好きだったから、次に女性の役をやっているちぎさまを今と同じような熱量で好きで居られるのか、分からないのです。
それがまた初めての経験であり、今までの自分には経験のないことで、すごくモヤモヤします。
この状態が応援する姿勢として「正しいのか」の判断が出来ません。
そういう退団と一緒に湧き出た今まで考えてこなかった自分に対する疑問や、好きでいることに対する違和感が余計に退団を苦しいものにしている気がします。
ただ穏やかで、愛おしいだけの時間はもうなくなってしまいました。

もしかすると宝塚の男役さんを好きになるたびに、こういう気持ちになるのかもしれません。分からないけど。
いつか自分なりの正解が出せたらいいなぁと思うけど、それはまだもう少し先になりそうです。
この現実を咀嚼しきるのに、まだ十分な時間がとれていません。
そもそも何を「正しい」とか「正解」とするのかなんて考えるから、こんなグルグルするし、そんなの考える必要ないとも思うんですが、これが私のオタクのやり方だから、仕方ないですね。
本当に面倒くさいオタクだなぁ、もっと気軽にいけばいいのになぁ(笑)

それでも私は躊躇うことなく、またちぎさまのことを好きになりたいと思います。
だから絶対に舞台に戻ってきて欲しいと心の底から思っています。
また好きになりたい、何度でも好きになりたいと思える人に出会えただけで、もう正解な気もします。

ちぎさま、本当にお疲れさまでした。
ちぎさまに恋できたこと、幸せでした。